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中林香が贈る女性のための心と体と車のブログ

元・女性レーシングドライバーの中林 香(なかばやし かおる)が、クルマの運転はもちろん、元スポーツ選手としての経験と、大学で心理学を専攻して得た知識をもとに、よくある心の問題やちょっとした体の不調との向き合い方、ストレスの対処法など、ココロとカラダに優しい生活をおくるための知恵やテクニックをご紹介します。

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人は役者、世界は舞台
ココロの話, 人間関係

人は役者、世界は舞台

シェークスピアの有名な言葉に「人は役者、世界は舞台」
というものがあります。わたしは前の大学で演劇を専攻していたので、授業でこの言葉を知りました。

当時のわたしはこの言葉を「世界なんてまるでお芝居みたいなもの。人間はみんな自分の人生を演じながら、その芝居に参加しているだけの存在。」というように感じてしまって、あまり好きな言葉ではなかったし、理解も共感もできませんでした。
多分わたしの中には「世界はそんな作り話や絵空事ではない。
演じるなんていう【真実】ではない生き方はできない。」というような気持ちがあったのではないかと思います。
けれど、最近になって、この言葉の意味について以前とは違った解釈をするようになり、この言葉がとても好きになりました。
その解釈が正しいものだとは思っていませんが、わたしにとっては今、わたしが考えている世界や人間や生きるというコトを、この1フレーズで説明できるんじゃないかと思っています。
「この世界には人間の数だけの世界観があり、それぞれの人の世界観の中ではそれぞれのストーリーが展開している。わたしの目に映る世界は、わたしという主役を中心にわたしが作り上げている1つのストーリーであり、この人生で出会う人はみな、わたしの舞台に参加してくれる共演者だけれど、その相手の舞台ではまたわたしがその人の世界で別に進行している舞台の共演者である。」
わたしたちがたった1つであると認識しているこの世界は、実は人の数だけの世界観が折り重なったパラレルワールドのようなものなのかもしれません。何かの縁があってわたしの世界に参加してくれている人たちは、わたしの舞台の中で何かの役割を演じてくれるために現れてくれた人たちだけれど、もしかしたら「その人」だとわたしが感じている存在は、わたしのシナリオが作り上げたキャラクターにすぎないのかもしれないということなんです。
わたしのストーリーの中で、その共演者はあまり魅力的じゃなかったり、意地悪だったり、理解不能な行動をする出演者だったりするかもしれませんが、それがその人物の全てということではなくて、逆にわたしというシナリオライターの技量不足なだけなのかもしれません。もしかしたら、その相手のストーリーの中では、逆にわたしが不愉快なキャラクターとして相手の舞台に参加しているのかもしれません。
わたしたちは現実としての「できごと」を共有しながらも、それぞれの世界観からの解釈によって、そのできごとの持つ意味や影響力が違っているコトの方が多いですよね。同じものを見て同じ体験をしながら、実は1人1人違うものを経験している。そのことに気がつくまでは、自分が見ている相手がその人そのものだという風に思いこんでしまいがちです。
けれど、わたしが見ているこの世界が、わたしというフィルターを通してわたし色に染まった世界なんだというコトにさえ気がつけば、何か嫌な出来事に遭遇した時であっても、簡単に誰かの行動の原因を決め付けたり、相手のせいにしたりできなくなりますよね。
そして更に言えば、どんな出来事が起こったとしても、わたしの舞台のストーリー展開の決定権はわたし自身にあるということなんです。
わたしの舞台の中では、あくまで主役も作家も演出もわたし自身が担当しているわけですから、どうしてもわたしのストーリーに合わない共演者の配役を変えるコトだって、舞台背景を変えるコトだって自分自身がそうすると決めさえすれば不可能なコトではないんじゃないでしょうか。
もちろん、嫌だからといって配役や舞台背景を簡単に変えてしまうのではなく、上手くいかないシナリオ自体をもう1度客観的に点検し直すコトがより大切なのは言うまでもありませんけれど。
そんな風に世の中を考えるようになって、このシェークスピアの言葉をあらためて眺めてみると、とても味わい深い言葉なんじゃないかなって思うようになりました。
できれば自分の舞台に現在参加してくれているたくさんの共演者の人たちが、その人の本当の魅力を発揮して生き生きと演じられるように、良いシナリオで素敵な舞台を作り上げていきたいですよね。