わたしが今まで生きてきて、いちばんゆっくり時間が流れていたように感じるのは幼稚園から小学校低学年にかけての数年間、海の近くに住んでいた頃です。
2歳くらいから10歳までの8年間、神奈川県の茅ヶ崎という場所に住んでいました。
家が海のすぐそばで、いつも潮の香りを感じながら、友達と木登りをしたり、ザリガニやオタマジャクシを捕ったり、一面のレンゲ畑で首飾りをつくったりして遊んでいました。
季節の移り変わりにしたがって、遊ぶエリアが変化したり、その時期ならではのイベントたとえば春の花摘み、夏の虫取り、秋の枯れ草潜り、冬の霜柱踏み・・・などが本当にとても楽しかったのを、今でもよく覚えています。
わたしの家から海に行くには、距離は近かったのですが、交通量の多い国道を渡って、防風林の松林を越えていかなければならなかったので、子どもだけでは行くことはなくて、親に一緒に行ってもらったり、友達のお母さんとみんなで一緒に行ったりしていました。
なかでも1番、わたしの記憶に残っている海遊びは、小学校の授業時間内に担任の先生が「校長先生には内緒だよ!」と言いながら海までこっそり連れて行ってくれて、クラス全員で海岸で海草を取ったり、手づかみで小さな魚を捕まえたりして遊んだ『課外授業』でした。
わたしが3年生まで通っていた茅ヶ崎市立西浜小学校は、本当に海のすぐそばにあるのんびりした小学校で、友達も先生もみんなおっとりしていて、人見知りでおとなしかったわたしにとって、とても居心地の良い環境だったように思います。
授業時間をサボっているので、期末試験は当然、生徒全員が全く出来ず悲惨な状態でしたが先生は何気なくそれぞれの答案を覗き込んで、なんと正解を教えて回ってくれました(笑)今の時代なら、もしかしたら問題教師になってしまうかもしれないような型破りな先生でしたが、わたしにとっては、いまだに忘れられない1番好きな先生ですし、当時も、もっとも自分たちの気持ちを理解してくれて、信頼できる身近な大人だと感じていたように思います。
型破りな先生と、のんびりした友達たちと、四季折々の遊びと、海からの潮の香り・・・・わたしの人生の中で、いちばんゆっくり過ぎていった時間は、今でもわたしの宝物です。
そんなのんびりしたわたしの子ども時代と比べると、今の都会の子どもたちはみんな忙しくて、遊ぶ場所も限られてしまっていて、なんだか余裕が無くて可哀想な感じがしてしまいます。
道路はほとんど舗装されていて虫も顔を出せないし、川にはフェンスが張り巡らされていて近づくこともできない。綺麗に剪定された街路樹にも登れないでしょうし、広場のような遊び場もほとんどなくて、きちんと管理された公園に親と一緒に遊びに行くくらいしか、小さな子どもが外遊びのできる環境がないように感じてしまいます。
親の方も、子どもがもし事故に遭ったら、誘拐されたら、不審者が現れたら・・・と不安が多くて外に遊びに行かせるくらいならと、ゲームなどで家で遊んでくれる方がまだ安心だという考えになってしまっているのかもしれません。
今の子どもたちにとって、ゆっくり過ぎていく時間はあるのかなぁ、大人になった時に、自分の子ども時代をどんな風に思い出すのかなぁと、自分の子ども時代を思い出してみて、なんとなく、ふと・・・そう感じました。