人の適性や適職を知るには、その人が子どもの頃、何をしているときが1番楽しかったのか、小さいときに何になりたいと夢見ていたのかが、大きなヒントになると言われていますよね。
でもわたしの場合は、小さいときにクルマや乗り物に興味があったということは全くなかったので、子どもの頃のわたししか知らない人からすると、どうしてこういう道に進んだのか、すごく驚かれてしまうんだろうなぁと思います。
小さい頃は、自然の中で遊ぶのもとても楽しくて好きでしたが、1番好きだったのは本を読むことでした。
本さえあれば何時間でも飽きずに1人でいられたし、本の世界に入り込んでドキドキ、ワクワクしたり、そのまま空想の世界で遊んだり、食べるのも寝るのも忘れるほど楽しかったように思います。
小学校1年生の頃に、『少年少女世界の文学』という、全30巻くらいの立派な全集を買ってもらい、それからは毎日、学校から帰ると何時間も世界中の色々なお話の世界を旅していました。
本は1巻づつ地域別(アメリカ編とかイギリス編、日本編など)となっていて、1巻にあまり長くない話は数話ずつ、長いストーリーは1話分がそのまま収録されていました。
当時はまだ1年生だったので、読めない漢字や意味のよくわからない言葉も結構出てきたはずなのですが、なんとなく意味を想像しながら読み進めるのも楽しかったし、まだ見たことも行ったこともない世界中のいろんな国の情景をイメージするのもとても面白かったんだと思います。
この全集に出会ってからは、それこそ乱読と言っていいほど、色んな本を読み漁りました。学校の図書室や、図書館の本を片っ端から・・・という感じです。その当時、何を読んでいたのかは、今ではほとんど覚えていませんが、大人になってから本を読んでいる時に、記憶にあるフレーズなどが出てきて昔読んだことを思い出す場合がけっこうあるので、そうとう理解不能な哲学系の本まで読んでいたように思います。
それじゃあ、わたしの子どもの頃の夢は小説家か作家か、もしくは出版社勤務だったのかというと、これがそうではなくて、なんと・・・「お嫁さん」でした。
お嫁さんが将来の夢だったなんて言うと笑われてしまいそうですが、当時のわたしには、料理がとても上手くて、お家もいつも綺麗に整頓されていて、どんなものでも魔法のように針と糸で作り出してしまう自分の母親が、すごく羨ましくて、いつかわたしもそうなりたいなぁと思っていたんだと思います。
友達とのおままごとでは、いつもお母さん役がやりたくて、赤ちゃん役の時なんかは、ちょっとやる気がなかったです。(笑)じゃんけんでお母さん役が当った時は、それはもう張り切って、朝食の泥団子も思いっきり気合を入れて作ってましたし、ご主人(役の男の子)を仕事に送り出す時も、三つ指をついて「いってらっしゃいませ♡」と頭を深々と下げ、その後もけなげにご主人が見えなくなるまでずっと、「お気をつけて~♪」と手を振ってお見送りをしていました。
わたしの適性や適職が本当に「お嫁さん」なのかどうかは、いまだに謎ですが・・・、わたしが実際に進んだ道は、小さい時に好きだったことや、子どもの頃の夢とあまりにも違うので、人生って予想がつかなくて面白いものなんだなぁと思います。
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いちばんゆっくり過ぎていった時間
わたしが今まで生きてきて、いちばんゆっくり時間が流れていたように感じるのは幼稚園から小学校低学年にかけての数年間、海の近くに住んでいた頃です。
2歳くらいから10歳までの8年間、神奈川県の茅ヶ崎という場所に住んでいました。
家が海のすぐそばで、いつも潮の香りを感じながら、友達と木登りをしたり、ザリガニやオタマジャクシを捕ったり、一面のレンゲ畑で首飾りをつくったりして遊んでいました。
季節の移り変わりにしたがって、遊ぶエリアが変化したり、その時期ならではのイベントたとえば春の花摘み、夏の虫取り、秋の枯れ草潜り、冬の霜柱踏み・・・などが本当にとても楽しかったのを、今でもよく覚えています。
わたしの家から海に行くには、距離は近かったのですが、交通量の多い国道を渡って、防風林の松林を越えていかなければならなかったので、子どもだけでは行くことはなくて、親に一緒に行ってもらったり、友達のお母さんとみんなで一緒に行ったりしていました。
なかでも1番、わたしの記憶に残っている海遊びは、小学校の授業時間内に担任の先生が「校長先生には内緒だよ!」と言いながら海までこっそり連れて行ってくれて、クラス全員で海岸で海草を取ったり、手づかみで小さな魚を捕まえたりして遊んだ『課外授業』でした。
わたしが3年生まで通っていた茅ヶ崎市立西浜小学校は、本当に海のすぐそばにあるのんびりした小学校で、友達も先生もみんなおっとりしていて、人見知りでおとなしかったわたしにとって、とても居心地の良い環境だったように思います。
授業時間をサボっているので、期末試験は当然、生徒全員が全く出来ず悲惨な状態でしたが先生は何気なくそれぞれの答案を覗き込んで、なんと正解を教えて回ってくれました(笑)今の時代なら、もしかしたら問題教師になってしまうかもしれないような型破りな先生でしたが、わたしにとっては、いまだに忘れられない1番好きな先生ですし、当時も、もっとも自分たちの気持ちを理解してくれて、信頼できる身近な大人だと感じていたように思います。
型破りな先生と、のんびりした友達たちと、四季折々の遊びと、海からの潮の香り・・・・わたしの人生の中で、いちばんゆっくり過ぎていった時間は、今でもわたしの宝物です。
そんなのんびりしたわたしの子ども時代と比べると、今の都会の子どもたちはみんな忙しくて、遊ぶ場所も限られてしまっていて、なんだか余裕が無くて可哀想な感じがしてしまいます。
道路はほとんど舗装されていて虫も顔を出せないし、川にはフェンスが張り巡らされていて近づくこともできない。綺麗に剪定された街路樹にも登れないでしょうし、広場のような遊び場もほとんどなくて、きちんと管理された公園に親と一緒に遊びに行くくらいしか、小さな子どもが外遊びのできる環境がないように感じてしまいます。
親の方も、子どもがもし事故に遭ったら、誘拐されたら、不審者が現れたら・・・と不安が多くて外に遊びに行かせるくらいならと、ゲームなどで家で遊んでくれる方がまだ安心だという考えになってしまっているのかもしれません。
今の子どもたちにとって、ゆっくり過ぎていく時間はあるのかなぁ、大人になった時に、自分の子ども時代をどんな風に思い出すのかなぁと、自分の子ども時代を思い出してみて、なんとなく、ふと・・・そう感じました。