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中林香が贈る女性のための心と体と車のブログ

元・女性レーシングドライバーの中林 香(なかばやし かおる)が、クルマの運転はもちろん、元スポーツ選手としての経験と、大学で心理学を専攻して得た知識をもとに、よくある心の問題やちょっとした体の不調との向き合い方、ストレスの対処法など、ココロとカラダに優しい生活をおくるための知恵やテクニックをご紹介します。

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カラダの話, 健康

カラダの声を聞くということ

現役のスポーツ選手を引退した後、体調不良に悩まされていたわたしは本当にさまざまな「治療法」というものに手を出しました。
スポーツマッサージ、理学療法、整体、按摩、鍼灸、ヒーリング系治療全般食事療法、絶食療法、マクロビオテック、漢方薬、アロマやレメディなどなど・・・・でも、どれも少しは効果があっても、ずっと通い続けたり、長期間継続していかなければならなくて、なんとなく納得ができませんでした。
それって、ある意味依存ですよね。その治療がなければ元気でいられないなんて、いつまでたっても本当の健康体とは言えないのではないかと・・・。
たとえば、体に歪みがあって何かしらの症状が出ている場合、整体などの物理的治療で矯正しても、すぐに元に戻ってしまうので、延々と治療し続けなければなりません。
鍼灸やマッサージは、ツボなどに刺激を与えることによって、対処療法的に痛みを軽減するだけのような気がしていました。
漢方薬、アロマ、レメディなどは、自然界の物質だから安全と言いますが、カラダに化学的な作用を及ぼしているという意味では、西洋医学の薬と結局は同じことではないかと思いました。
食事療法、マクロビオテック、絶食療法などは、楽しんで続けられれば良いとは思いますが、あまりにも厳格に食べ物に神経を尖らしていると、それがまた精神的に負担になってしまい、本末転倒のような気がしました。
また、わたしは2週間の長期絶食を2度やったことがあるのですが、絶食中にものすごい幸福感と、何でもできてしまうような全能感を味わってしまって、これはちょっと危ないなと思いました。絶食を始めて数日たつ頃から、脳内で自家製の麻薬物質が分泌されるのだそうです。
それ以外にも、サプリメントや健康食品の類も散々試しましたが、納得のいくようなものには結局出会えませんでした。
でも今は、体中の痛みが無くなっていて、数年前よりもずっとずっと元気です。
20代前半から長年悩まされていた首と肩の痛みや腰痛も、今はすっかり無くなっています。
どの治療法もダメだったのに、どうしてそんなに調子が良くなったのか言いますと・・・2年ちょっと前に、今通っている大学に入ってから、学校が終わった後、家まで歩いて帰っているだけなんです。(少し早足で歩いて、およそ1時間くらいの道のりです)ただし、ただダラダラと歩けば良いというわけでは無さそうで、歩いている間ずっと、どこの筋肉と骨を使っているのかをキチンと意識し、背筋を伸ばして良い姿勢を保ちながら、全身を使って上手に歩くことがポイントのようです。
そして、普段の生活の中での深い腹式呼吸もとても効果があるように思います。
呼吸をするとき、息を全部きれいに吐き切ることができないと、カラダが必要としている分量の酸素を、呼気で吸い込むことができないのだそうです。
そうなれば、わたしたちのカラダはずっと酸素不足で、脳にも、どの臓器や筋肉にも負担を掛け続けることになってしまいます。
本当に基本的なことですが、生きているということは、息をしているということですしカラダを動かすからお腹が空いて、夜には良く眠ることができるように思います。
やらなければいけない基本的なことがいい加減なまま、薬や治療やヒーリングに頼って、その場限りの気持ち良さに甘えていながら、健康になりたいだなんて、今から考えてみれば、自分のカラダにかえって申し訳ないことをしてしまっていたんだなぁと、いまさらですが少々反省しています。
体調が悪くなると言うことは、わたしのカラダの使い方の何かが間違っているという、カラダからのメッセージだったんだと思います。その間違いに気付いて、それを正そうと努力することでしか、本当の健康は得られないように思います。
とてもとてもシンプルな方法ですが、実践してみて、その効果は絶大でした。
体調不良に悩んでいる方は、一度試してみてはいかがでしょうか。
健康に生きていくために必要なことは、巷に溢れる健康情報に踊らされることなく、キチンと自分のカラダの声を聞いて、それに答えることだと思います。

DIARY

更新情報

4月に無事進級してから約2ヶ月・・・・大学3年生の時間割にもだいぶ慣れてきました。
というわけで久々の更新情報です。(汗)カテゴリー ココロの話 人間関係「言葉とコミュニケーション」
カテゴリー カラダの話 健康「カラダの声を聞くということ」
最近、「言葉」について、色々と考えさせられるような経験をしました。
わたし自身は、「言葉の力」の影響をけっこう受けやすいタイプみたいです。(笑)わたしは、ものすごく辛い時、もうダメだと思った時に、何度か「言葉」に救われたことがあります。多分、その言葉を発したご本人にとっては、何気ない一言であってたいした意味も無いような、ありふれた会話の一部に過ぎなかっただろうと思います。
けれど、わたしはその言葉に勇気付けられて、また立ち上がることが出来た・・・・。
そんな風に、知らないうちに、わたしの恩人になってくださっている方が何人かいます。
面白いなーと思うのは、そういう何気ない一言で救ってくれる人は、1度だけではなく何度も違う場面で、本人が気付かないまま、いつもわたしを救ってくれているんです。
それも本当に絶妙なタイミングで・・・。
最近また、「あぁ、この方はそういう人なんだわ!」と気付いた方がいらっしゃいまして密かにその方に対して全幅の信頼を寄せています。もちろんご本人は多分、全く何もご存じないと思いますが・・・。
本当はとても感謝していて、それを伝えたいんですけれど、ご本人がそんなつもりで発した言葉ではないだろう一言に、あまり強烈に感謝の気持ちを表すのもかえって不自然なような気がして・・・、こういう場合は、感謝するのもなかなか難しいです。
ところで、あと1週間で6月に入りますね。
6月1日から、道路交通法の改正が実施されます。
今回の改正では、自転車の走行区分と後部座席のシートベルトについての変更があります。
詳しくはまた、近いうちに記事にしたいと思っています。書く時間があれば・・・・。(汗)

ココロの話, 人間関係

言葉とコミュニケーション

人と人とのコミュニケーションにとって無くてはならないのが「言葉」ですよね。
心理の教科書によると、人のコミュニケーションの方法には言葉によるコミュニケーション=バーバル(言語的)コミュニケーション
言葉以外の、表情や身体の動き、声の調子などによるコミュニケーション
=ノンバーバル(非言語的)コミュニケーション
と言う、2種類の方法があるとされています。
このうち、バーバルコミュニケーションのウエイトは、たった5~15%であるとされていて、発する言葉自体よりも、言葉以外で交わしているコミュニケーションの方が圧倒的であると言われています。
確かに、言っている内容と態度が違うと感じたとき、私たちは態度の方を受け取ることが多いように思います。たとえば、「ごめんなさい」をふて腐れた態度で言われたとしたら、「あぁ、この人は自分が悪いとは思っていないんだな。」と感じるものですよね。
日本は特に、「察する文化」です。言わなくてもわかって欲しい、察して欲しい・・・決定的な「言葉」ではなく、雰囲気を察することで、周囲の人間と調和を図ろうとする、ある意味大人な、平和的な国民性だと思います。
少し前に流行っていた「KY(空気読めない)」という言葉も、そんな国民性を象徴しているようだと思いました。
けれど、言葉について、皆さんはこんな経験をしたことってありませんか?
「あの一言で、なんだか救われたような気がした。」
「たった一言の励ましで、とても元気になれた。」
「あの言葉が胸にグサッと突き刺さって、忘れられない。」
「あの一言で、何もかも嫌になった・・・。」
人と人とのコミュニケーション方法は大変複雑で、お互いの立場や関係性、性別、地域性や文化などによっても、ずいぶんと違うものになってしまうのではないかと思います。
1つの同じ仕草が好意的な意味だったり、敵対的な意味だったり・・・、そういう風に、表情、仕草、態度、声の調子などのノンバーバルなメッセージだけでは、相手によっては全く違う意味に捉えられてしまうことも結構あるのではないかと思います。
ですから、私はやはり、「言葉」はとても重要なコミュニケーションツールだと感じています。
特に、インターネットなどによって、世界中の人たちと直接、いつでもコミュニケーションできるようになった現代社会では、つまらない誤解で傷つけ合わないようにするためにも、私たちは「言葉」の持つ力を、もっと真剣に考えなければならないのではないでしょうか。
誰かに何かを伝えようとして言葉を発する時・・・、その言葉が本当に自分の伝えたいことを表している言葉なのか?
その言葉について、自分と相手の感受性は一致しているのか?
その言葉の持つ力が、お互いの関係性にどう影響を及ぼすのか?
そういったことを、きちんと意識しながら言葉を大切に選ぶと言うことが、相手との関係を良好に保つために、とても重要なことだと思います。
自分の何気ない一言が、知らないところで誰かを深く傷つけているかもしれないしまた逆に、誰かを勇気付け、励まし、助けていることもあるかもしれません。
「言葉には、そういう大きな力があるのだ」ということを、なるべく意識していつでも、誰に対しても、自分の発する「言葉」にキチンと責任を持って、「言葉」を大切に使っていきたいものですね。